日々のこと(ときどき昨日の晩御飯+α)

昨日の晩御飯 その他のことを綴ります。

放置解除としながら またもや11ヵ月も空いてしまいました。

この約一年の間 またもやいろいろなことがあって・・・。

そのことについてはまたおいおい書いていくとして

やはり晩御飯の記録として残したいなと思い また書き始めた次第。

 

今日の晩御飯は 豚しゃぶ鍋。

といっても食卓でしゃぶしゃぶするようなお上品なものではなくて

お肉以外にざっと火を通した後 豚小間肉を投入し

箸でほぐしながら火を通して硬くならないうちに火を止めるという

お手軽しゃぶしゃぶでした。

 

因みに昨日は カニ鍋。ここの所寒くて 鍋ばっかりになってます。

放置解除

長らく放置していましたが、久々に再開してみることにしました。

ずいぶん放置していたので 私の状況が色々変わりました。

まず、夫と二人で忙しくも自由な暮らしを謳歌していましたが

3年前に夫のお母さんが亡くなり 色々あって昨年6月の終わりに私の実家へ夫と共に引越しました。

お仕事のほうも転職をしてお給料は少ないけど 実は自分の経歴からは身に余るような大物物件を担当して充実した日々を送っています。

 

さて、実家へ戻った経緯ですが、実父が肺の疾患を長らく患っていて、

いよいよ酸素ボンベのお世話になることになり、

母から帰ってきてはくれないだろうかと打診があり、夫がOKしてくれたので戻ることにしました。

 

日ごろから 面倒を見るつもりは無いから 自分たちで何とかするよう言っていたのですが、外出がままならなくなるだろうし、両親も歳だからなぁと言うわけで

戻ることにしました。

引越しの前日 父が不注意で倒れ(疾患とは関係ない)救急搬送して入院することになりました。倒れた拍子に首の後ろを強打し、レントゲンやMRIの診断などで 頚椎が狭くなって神経に障っているのだろうということでしばらく入院となりました。

翌日引越した日からは母と3人で 病院に通ったりしながら生活リズムを整え、いつごろまで入院かかるんだろう 退院できたとしてリハビリや家での生活はどうなることやらと思っていたわけですが、身体的な状態は良くはないけど手術したら動けるようになるだろうと言われて本人もその気になり すぐ手術をしていただいて あっという間に家へ帰ってきました。

 

それから今に至ります。

両親二人とも運転免許証を返納したので、車がないと身動きが取れない田舎なので、毎週の買い出しや 墓参りなどあちこち連れて行かされています。

 

父は肺の疾患があり、多分そう長くはないのかなと。

母はびみょーーーーに認知症の初期症状のような・・・。

 

介護というよりは見守りのつもりで できることはなるだけやってもらって

できないことを手助けするという感じで 何とかやってます。

 

というわけで これからは親の介護とかの話が多くなるのかな。

 

 

3月21日の晩御飯


昨日はまたぐっと冷え込みましたね。
なので買ってあった サムゲタン #MUJI の鍋の素を使いました。
具材は キャベツ 水菜 ねぎ 豆腐 手羽元 鶏胸肉を入れてます。
鍋の素には400ccの水を入れる とあったのですが
その水分の量ではちょっと物足りなくて
もう少し水分を足して 鶏手羽元を水炊きのように炊いてみました。

キャベツがやっと手が出せるくらいの価格になっていて うれしくて
春キャベツと冬キャベツと1個ずつ買ってしまいました。

この冬は葉野菜が高くて なかなか買えなかったので 葉っぱ成分が不足していましたが やっと取り返せそうです。

〆は雑炊にして 最後の一滴までおいしくいただきました。

今日の晩御飯

豚コマと厚揚げのキムチ丼
かき玉汁


最近は二日分まとめてご飯を炊いています。
二日分で4合炊きます。

最初の日は炊き立てご飯に合うような おかずを作るようにしています。
だいたい1汁2菜が目標です。
炊き立てご飯がおいしいので シンプルな味付けのほうがしみじみおいしいと思います。

2日目はチャーハンや丼が多いです。
それに汁物と野菜料理(サラダなど)をつけることが多いです。

さて今日の丼は 豚コマと厚揚げのキムチ丼を作りました。
豚コマに砂糖と酒で下味をつけ ごま油で色が変わる程度に炒めます。
いったん取り出し、にんじんの短冊切り、たまねぎスライスを炒めます。
しんなりしたら 小松菜の茎の部分2株分を 3センチくらいに切って炒め合わせます。
またしんなりしたら キムチ鍋の素で味付けします。
このとき 取り分けた豚肉にも少しかけておきます。
ざっと混ぜて 豚肉を戻しいれ 小松菜の葉のほうを切って加えます。
全体に塩コショウします。(本当はキムチ鍋の素を入れる前にしておけばよかった)
さらに混ぜて ちょっと火の通りが悪かったので 蓋をして火を通しました。
味を見て 少し醤油をたらし、満遍なく混ぜて出来上がり。
暖めたご飯に海苔をちぎってのせ その上からかけました。
仕上げに 白ゴマをパラリ。
海苔とゴマでいっそう韓国料理っぽくなりました。

ごちそうさまでした。

昨日の晩御飯

バンバンジーもどき
無限ピーマンの残り
冷奴
玉ねぎと切り干し大根の味噌汁
ご飯

体調不良で なかなか作れなかったけど 買い置きの鶏肉を使いたかったので
茹で鳥にして マヨ・ポン酢・オイスターソース等でバンバンジー風のソースを
掛けました。

使いたいひき肉もあったので こちらは玉ねぎと一緒に炒めておきました。
晩御飯には使ってないけど お弁当の卵焼きに少し混ぜてオムレツ風にしてます。
このひき肉炒め あるとなかなか便利です。

温めてオイスターソースとかで味付けして バジルをまぜればガパオライス風。
明日のお弁当はこれでいこう。



休日にまとめて作り置きできればいいんだろうけど
何回かやってみてすごく時間がかかって疲れたので 今はちょこちょこやってます。

茹でたり切ったりと 野菜の下処理をしておくと さっと使えて便利です。

結婚しました。

富士山に行って 結局山小屋までたどり着くのがやっとで帰ってきて 何やかやしているうちに年が明けましたが・・・
10年以上居候をしていたのですが、引越しを機に結婚することになり、1月15日に届けを出しました。
引越しは11月の終わりに済ませていました。

まあ このまま籍を入れないままでもいいかな〜と思っていたけれど、
当たりをつけた物件を見に行く車中で 籍を入れようか と言われ え?って思ったけど 一応 あ うん みたいな返事をしたものの、あ〜なんか色々めんどくせーなーとか思ったりしつつ・・・。
引越しの準備を進めつつ 途中けんかになって これはもしかしたらもしかするかも〜と思いながら
きっと若かったらこの勢いで 別れたりするんだろうか・・・とか。
引越しを済ませ、身近な人たちに報告をして 思いのほかみんな喜んでくれて 引越しの片付けもなかなか進まないまま
家族の顔合せをするために 色々準備をして 先週の日曜日に無事に済ませることができました。
式も披露宴もしないので ほんとに家族だけで集まった席で まず 彼が開会の挨拶をするとき、並んで下座に座って挨拶を聞きながら 不覚にも涙ぐんでしまい。
そのときの感情は うれしいとか悲しいとか そのどれでもなくて 必死でこらえ 短い挨拶が終わって 双方の家族を紹介するときには ちゃんと普通にできたし 自分でもなぜ涙が出そうだったのかわからなかった。
横に座っていた彼は 私が涙ぐんでるなんてきっとわからなかっただろう。
しいて言えば ほっとしたのかな。

まあそんなこんなで 半世紀生きてきて 名前が変わることに戸惑いつつ 幸せの絶頂期を過ごしています。
もし 今ころっと死ねたら 本望です。

いよいよ・・・

近づいてきました 富士登山
明々後日の早朝に出発です。
これまで何をしたか・・・。
実はほとんどしてません・・・。
梅雨に入って 休みの日とお天気がうまくあわず・・・。
友人と低山をハイキングしたのと、
直線距離で6キロくらい離れたところまでバスで行き
歩いて帰ってくる・・・というのをやりました。
帰りはいろいろ遠回りをしたので 10キロくらいになりました。

その後は毎日の生活に追われ・・・。
ちょこちょこスクワットをしたくらい。

あああどうしよう・・・。

でもレンタルした山道具が届き、明日はスーツケースをレンタルしに行きます。
準備するものはほとんど揃い、あとは前日パッキングするだけ。
スーツケースとバックパックサコッシュに分けて入れるものを リストアップ中。

いろんな情報を見すぎて 毎日登れそうかな・・・登れそうな気がしない・・・
と ぐるぐるしています。

はあ どうなることやら・・・

富士登山への道

登山予定まで2ヶ月を切りました。
前回の更新の後 何度か地元の山に登り 友人と3人で耳納連山の一番高い山に登りました。
私以外の二人は若いころから痩せていて 運動神経もそこそこ。
一人はツアコンで各地を巡り もう一人は看護師で自転車通勤 たまにジョギングするらしい・・・。
そんな二人はぺちゃくちゃおしゃべりをしながら ストックも使わずに 少しずつ登っていきます。
それに引き替え私は ストックにすがりつつ ゼーゼーハーハーいいながらやっとの思いで登りました・・・。
途中膝頭がつるという 経験した事の無い状態になり もう登れないかと思いましたが、
チョコを食べるとなんとか足も動くので それからはチョコを食べ食べようやく頂上にたどり着きました。

こんな程度の山でこの状態なのに 富士山なんて登れるのかしら・・・。
エア登山(ストリートビュー)でも こんな岩だらけの所を登れるのかしら・・・。
不安ばかりがつのり 登れる気がしません(キッパリ)

しかし、ツアーも飛行機もホテルも予約を済ませ、靴を買い、道具のレンタルの手配等は進めていきます。
もうどうにもこうにも登らなくてはならない状況に 追い込んでいきます。

はたして 富士登山は成功するのでしょうか?
お楽しみに〜

富士登山まで あと57日

その後

前回決意表明をした後、身体的に色々ありまして・・・。
ウォーキングどころではありませんでした。

夏真っ盛りに宣言した後 少し涼しくなってはじめようと思ってましたが、
まず 試験を受けるために 講座を受けに行って 勉強しなくちゃなーと思ってましたが
計2回の講座で 朝から夕方までみっちり実技があり 抜け殻のようになったまま試験当日。
なんとか乗り越えた翌月曜日。
顔に違和感があって おかしいなーと思いつつ 寝たら治るだろくらいに軽く考えていたら
翌日になっても違和感がひどくなり 看護師の友人に相談したところ 多分顔面麻痺だから すぐ病院へ行けとのことで
耳鼻咽喉科に行ったら まさしく顔面麻痺との診断。

お薬を出され あと一週間は悪化しますが その後は回復するでしょうとの事で 苦悩の日々。
瞼がちゃんと閉まってないために目までおかしくなり 眼科にもかかり・・・
ちょうど1ヶ月で なんとか治りました。
もうこのまま治らなかったらどうしようかと心配しましたが
お医者さんが 治りますよって言ってくれて それだけが気持ちの支えでした。

治ったらもう11月。

寒いよーといことで またまたウォーキングやる気なし。

歳が明けて ちょっとこの年齢になると 身体的に色々変化がある年代でして。

そのー 月経の出血が止まらない という経験をしました。
1月は2週間止まらず、2月下旬から3月に入っても止まらず しかも出血量が多くて 夕方になるとかなり疲れるようになってきました。
それで意を決して婦人科へと行ったのが 本日3月9日。
もういつ閉経してもおかしくない年齢につき 注射で閉経状態にもっていくという選択をして注射を打ってもらいました。

これから4週間毎に注射を6回打ち 閉経状態になります。
その後はまた再開するかもしれないけど とりあえずこのだらだらと出血する状態を何とかしたかったので
医者はあまり勧めませんでしたが、お願いして注射してもらいました。
保険が利いてもいいお値段の注射でした。

これで安心して富士登山の準備にかかりたいと思います。

注射で更年期の症状がでるかもしれないので 骨粗鬆症にならないよう カルシウムを採り 今度こそウォーキングを始めます。
気候もよくなってきたしね。
とにかく体重を落とさないことには 富士山に登れる気がしない・・・。

あ〜がんばらんと・・・

決意表明

私は来年 富士登山することを誓います。

ここまで書けば実行できるかな。
先日所さんの番組で、外国人の方達が富士登山しているのを見て、日本人なんだから一生に一回くらい富士山に登ってみようかな?と思いました。
隣にいた同居人に提案した所、あんたに登れるはずないやん と一蹴されたので、本日の婦人会の際に友人二人に言ってみたら乗ってきたので、来年50歳だから記念に登りましょう ということになりました。

というわけで、先ずはトレーニングとして、ウォーキングから始めてみようと思います。